単行本〔穂高小屋番 レスキュー日記〕宮田八郎 著
2019年3月20日刊行
(「はじめに」 より))
穂高の山に生きて三〇年になります。
三〇年という歳月は人間にとっては決して短いものではありませんが、自然の時の流れから思えばほんの一瞬であるし、ぼく自身も「もうそんなに時が過ぎたのか」と不思議な感じもします。
ぼくが生きてきた穂高は、悲しい事実ではありますが、ことさらに遭難の多い山です。
そのなかで長く仕事をしていると、遭難救助の現場に立つこともずいぶんとありました。
そして救助経験を重ねるにつれてぼくは当然のことながら、人は山で命を落としてほしくはないと願うようになりました。
ぼく自身は、ことさら人より正義感が強いとか親切心に富むとかいうことはありません。
むしろ世の平均から考えると、やや(あるいはかなり)いい加減で不真面目なタイプの人間であろうと思っています。
そんな自分が、曲がりなりにも人助けをし、あまつさえ人命救助に携わってきたのは、ぼくが生きてきた穂高という世界では「人が人を救う」のがごく当たり前だったからだと思います。
(中略)
そのために穂高でぼくができること、ぼくにしかできないこと、そしてやらねばならないことはまだあります。
それはたとえば、これまでの遭難の記憶と経験を広く語り伝えることもそのなかのひとつではあるまいかと考えるに及び、このたびこのように駄文をしたためるに至った次第です。
ぼくのこれまでの山小屋暮らしにおいて、多少なりとも登山者のお役に立ったことがあったとすれば、それは、これまでに救った命の数よりむしろ、喪わせずにすんだ幾多の命があったことでしょう。
ささやかながらも、それこそを誇りたいと思います。
これから語ることが、穂高を歩く人たちの安全に少しでもお役に立つのならとてもうれしいかぎりです。
ハチロー拝